スイスの視点を10言語で

ロカルノ、映画制作で津波の犠牲者を弔う

何もなかったような静かな海。山と積まれたがれき。その間を「日本の象徴」である女性が1人で儀式を行う。「solo」の一場面 pardo.ch

ロカルノでは、東日本大震災の津波被害に衝撃を受けた、日本の新人監督たちの2作品がそれぞれ違う部門にノミネートされる快挙があった。一つは「コンペ外部門」の酒井耕(こう)&濱口竜介(りゅうすけ)両監督の「なみのおと」。140分のドキュメンタリーで「海とともにもう一度生き直せるものなのか」という問いを中心に、津波被災者の思いを聞く。


もう一つは米澤(よねざわ)美奈監督の「solo」。絵画のように芸術的なフィクションのこの作品は、ドキュメンタリーの「なみのおと」とはいろいろな点で対極をなす。学生や新人監督の短・中編を選考する「明日の豹たち部門(Pardi di domani)」に選ばれた。

感情的なものを拾う

 「なみのおと」を制作した酒井&濱口の両監督は、3・11後5月から津波被害の跡を追って岩手県田老町(たろうちょう)から三陸海岸を南へ下った。田老町の2人の高齢の姉妹。宮城県南気仙沼市の自主消防団員の3人。福島県相馬市新地町の若い2人の姉妹など、6カ所で出会った人々にインタビューしていく。

  インタビューといっても、しばしば家族や夫婦といった親密な関係の2人が淡々と会話する形式をとり、それらをつないだものだ。この会話が魅力あり、編集が全く行われていないように自然に流れ、見る者も撮影現場にいるような臨場感に包まれる。

 会話は「津波で失われた町に、たとえ将来再び津波が襲うことがあっても戻りたいと思うか」という課題を軸に、各自の体験に沿って考察してもらっている。「会話の内容は、もし記録を目的に文字に起こしたらカットされるようなものがほとんど。だが、僕たちはたわいもない話の中に現れる、感情的なものを拾っていきたかった」と酒井監督は言う。

 津波で普通の人の日常生活がガラリと変わった。起こってはならないことが起こってしまった。その重大さは、普通の人が淡々と語ってこそ、じわりと見えてくるものだ。例えば、新地町の2人の姉妹の会話。「東京からきた友人に海を見せるのはいつもあの道の角だった。それが自慢だったな」と妹。「そう。私は海岸のそばの田に稲穂が輝いていて、それを犬のリーのしっぽを見ながら眺めるのが好きだったな」と姉。それらは過去形で語られるが故に、もう存在しないという重さがある。

 だが、140分のドキュメンタリーはさすがに長過ぎるのではないだろうか。例えば町の自主消防団員3人が、誰に誘われて団員になったのかといった話は省いてもよいのでは。「いえ、町にあるつながりをまず示し、そうした中で津波の被害があったことを伝えたかった。カットできない。長さにも意味がある」と酒井監督は反論する。

誠実に向き合う

 技術的には、向き合った2人をまず撮影した後、少しずれてもらい、それぞれの前にカメラを設置する。従って2人は相手の声だけを聞きながら会話を続ける。一方カメラはそれぞれの顔を真正面から撮影する。よって話す人の顔が大写しにスクリーンに映り、映画を見る人と向き合い、映画を見る人に語りかけているようになる。

 なぜそうしたのか?「僕たちは、100年後に残る映画作りを目指した。つまり100年後これら証人は過去の人となっているが、普通の人が普通に100年後の人々に語りかける形式をとることで、津波という大惨事を(じわりと)後世に伝えたかった」

 上映後に観客から「世界に、また後世に津波被害を伝えたいというのは素晴らしいが、世界に直接関係し、また日本が世界に伝えていく義務があるのは原発の問題ではないだろうか?なぜそれを扱わなかったのか?」との質問があった。これに対し酒井監督はこう答える。「ドキュメンタリーの形でインタビューしていくと、ある政治的立場に加担しやすくなる。それは避けたかった。また原発の問題は複雑。作るとしたらフィクションだろう。その計画は頭の隅にある」

 また、なぜ津波の映像や家族を亡くした、いわばもっと深刻な体験者のインタビューがないのか?という質問には「津波そのものの、すさまじい映像は世界中を駆け巡ったので、もう一度やる必要性を感じなかった。また家族を亡くし悲しみにくれる被災者の心を、僕たちがきちんと理解できるのか?その重みを受け取れるだけの準備がないのではないか?と感じた。さらに被災者の方々も僕たち相手では話してくれないのではとも思った」

 今回の作品は、酒井監督の大学卒業後初めてのドキュメンタリーだ。それが新人監督やよく知られた監督の、特別な作品を上映する「コンペ外部門」という特殊な部門に招待された。それは酒井監督の、そして濱口監督の誠実さと「ドキュメンタリーとは、実は言葉をつないでいく中に表れる感情を記録することではないのか。それこそがインパクトでは」という哲学が、ノミネートの理由になったからではないだろうか。

弔いと再生

 津波に同じように衝撃を受けて制作したとはいえ、米澤監督の「solo」は「なみのおと」とは対極的な作品だ。10分47秒という「潔い」短さの上、登場人物の女性をプロの役者が演じるフィクションだからだ。

 津波の被害があった砂浜には、冷蔵庫、掃除器、時計など、さまざまなものが打ち上げられている。それらをこの女性が、一つ一つ見つけていくのだが、ただ見つけるだけではなく選別をしているようにも見える。穴があいたバスケットシューズ。高校生がはいていたのか?それは選ばれ、長い棒の先にひもでくくり付けられる。壊れた時計も枝の先にぶら下げられる。こうしてアートのオブジェのようなものが完成する。これは人形だと実は後で分かるのだが、やがてこの人形が炎に包まれる。

 「流れ着いた生活用品の数々。それら一つ一つに現地で暮らしていた人々の魂が宿っていると感じだ。それを燃やすことで、亡くなった人を含めた魂の弔いを行いたかった」と米澤監督。だが、単に弔って終わるだけではない。「この女性を演じる赤澤ムックさんは実は着物を着ることで『日本』を象徴している。さらにこの着物の柄は不死鳥。つまり、弔いを終えた後日本が再生することを願い、それを象徴している」

品々と風景に独特のエネルギー

 海の波の青。赤と白の鮮やかな着物。砂。芸術的オブジェのような人形。さらにこれらを撮影した一コマ、一コマはすべて一枚の絵画のように、色や構成が決まっている。そのためこの映画は一つの芸術性の高いパフォーマンス映画のようでもある。または、多くの象徴性や弔いという儀式性を含め、能の舞台のようなところもある。

 「自然には神が宿っていると思う。だが、なぜ神はあれ程までにむごいことをしたのか。それは理解できない」と言う米澤監督は、その理解できない神の仕業に対し、ともかくも弔いをせざるをえなかったのかもしれない。

 役者の赤澤ムックさんもこう付け加える。「もちろん、日本の象徴として弔いを行うというシナリオは頭に入っていた。だが、ロケのあの海岸にあった品々と風景には独特のエネルギーが宿っていて、それに突き動かされ自然に演技が湧いてきたところがある」

 酒井&濱口監督の「なみのおと」と米澤監督の「solo」は対極にあると書いた。だが、もし共通点があったとしたらそれは両方とも、弔いをしていることだろう。前者が津波体験者の言葉や感情を感じ取りそれを将来に伝えることで、津波の犠牲者に対しある種の弔いをしていると解釈するなら、後者は浜に打ち上げられたもの(魂)に突き動かされて弔いの映像を制作したということだろうか。

 ただ、映像での完璧な弔いはなかなか難しい。特に「solo」の場合は衝撃を映像言語化する際に象徴を使うことの難しさがあるかも知れない(見る人、特に外国人が理解できるかという点において)。ただし、両作品は多くの観客から非常に高い評価を受け、今後の活躍が大いに期待されている。

酒井耕(こう)監督

1979年長野県生まれ。2005年~2007年、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域で黒沢清、北野武に師事。2011年 5月~9 月にかけて、濱口竜介と共同監督で東日本大震災 の被災者へのインタビューをまとめたドキュメンタリー映画「なみのおと」制作。

濱口竜介(りゅうすけ)監督

1978 年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業後、商業映画、TV番組制作の現場 で助監督として活動する。2006年~2008年、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域の修了制作として制作した長編 映画「PASSION」(08)が2008年度のサン・セバスチャン国 際映画祭と東京フィルメックスのコンペ部門に入選。チェコのカルロヴィヴァリ国際映画祭にも正式招待され、高い 評価を得る。 公開待機作は「THE DEPTHS」、「親密さ」など。最新作は酒井耕と共同 監督の「なみのおと」。

1982年静岡県生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。現在はフリーランスのディレクターとして、TV-CM、TV番組、webムービーなどを手がけている。在学中に制作したショートフィルム「人生浴場」が International Water and film Event にて受賞。「ゆかいな温度計」は日本のSSFFを始め、世界数十カ所の映画祭で上映されている。最新作「solo」はロカルノ国際映画祭、短篇コンペ部門 (pardi di domani) に日本人の女性監督として、初めてノミネートされた。

スイス、ティチーノ州ロカルノ (Locarno)市で8月1日~11日まで開催。ヨーロッパで最も古い国際映画祭として、また新人監督やまだ知られていない優れた作品を上映することで有名。

今年は、昨年より多い300の作品が上映される。アラン・ドロンやシャーロット・ランプリング、オルネラ・ムーティやハリー・ベラフォンテなどの豪華スターも招待されている。

 世界最大級(26mx14m)のビッグスクリーンがあるピアッツァ・グランデ(Piazza Grande/グランデ広場)。ここには8000人の観客が収容でき、人気ある作品が上映される。この「ピアッツァ・グランデ部門」に今年は17本が選ばれ、うちスイス人監督の作品が3本含まれている。松本人志監督の「さや侍」が昨年、ここで上映された。

 コンペ部門として、メインの「国際コンペティション部門(Concorso internationale)」と新鋭監督作品のコンペ「新鋭監督コンペティション部門(Concorso cineasti del presente)」がある。

 「国際コンペティション部門」の最優秀作品には「金豹賞(グランプリ)」が授与される。2007年に小林政広監督の「愛の予感」がこれを勝ち取っている。2011年には青山真治監督の「東京公園」に対し審査員から金豹賞と同格としての「金豹賞審査員特別賞」が授与された。

 今年、「国際コンペティション部門」には三宅唱(しょう)監督の「Playback」が、「新鋭監督コンペティション部門」には、奈良県十津川村(とつかわむら)で撮影したペドロ・ゴンザレス・ルビオ監督の「祈(いのり)」がノミネートされた。

また、新人監督やよく知られた監督の特別作品を上映する「コンペ外部門」もある。今年、この部門に河瀨直美監督の「塵」と、酒井耕(こう)&濱口竜介(りゅうすけ)監督の「なみのおと」がノミネートされた。また、学生や新人監督の短・中編を選考する「明日の豹たち部門(Pardi di domani)」に米澤(よねざわ)美奈監督の短編「solo」もノミネートされた。

河瀨直美監督は今年、過去と現代の偉大な映画監督や芸術家に敬意を表する「映画史部門(Histoire du cinéma)」に特別招待され、そのドキュメタリー作品4本が8月2日~3日に上映された。なお、同部門でオットー・プレミンジャー監督の作品も多数上映される。

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部