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ヒトラー式敬礼が許されるスイス 「刑法は鋭い武器であるべき」と法学者

刑法学者で人種差別に詳しいマルセル・ニッグリ氏 Keystone

右腕を斜め上にまっすぐ伸ばして敬礼する「ヒトラー式敬礼」。欧州ではこれを禁止する国もある中、「宣伝目的でない限りヒトラー式の敬礼は罪に問われない」とするスイス連邦最高裁判所の判決が国内外で大きな波紋を呼んでいる。最高裁の判断は法的に妥当だと考える刑法学者のマルセル・ニッグリ氏に話を聞いた。

「ヒトラー式敬礼とハーケンクロイツ(かぎ十字)が600万人のユダヤ人を大量虐殺したナチス・ドイツのシンボルであるのは誰の目にも明らかだ」とフリブール大学で刑法と法哲学の教授を務めるニッグリ氏は言う。

スイスではこうしたシンボルを使うこと自体は罪にならない。同氏は、人種差別撤廃法の適用範囲を拡大すれば、この二つのシンボルを違法にできると語る。だが、法律の適用範囲を広げすぎるのは危険とも指摘する。同法は著しい人種差別が起きた場合にだけ適用されるべきで、日常のささいなことにまで適用していたら法律の「鋭さ」が鈍るという。

swissinfo.ch : 連邦最高裁判所の判決が国内外で物議を醸しています。詳細については後ほど伺いますが、世論が非常に批判的であったことは意外でしたか?

マルセル・ニッグリ : 判決が外国で反感を買ったのは、スイスの法律があまり知られていないということで説明がつく。しかし(人種差別に関する)法律が過去20年間変わっていないスイス国内で批判が出たのは意外だった。

リュートリの丘でスイス建国記念祝典が行われた2000年、ネオナチが妨害に入るという事件があった。連邦議会の司法委員会はこれを受け、ナチスのシンボルやジェスチャーの禁止を要求した。ところが、連邦議会は審問を2回行った後、2010年にはそうした禁止は不要と判断し、要求を却下している。

今回の判決に対し、国内で「信じられない」といった反応があったのにはあまり理解できない。スイスでヒトラー式敬礼が罪を問われないのは、既に知られていたはずだからだ。

swissinfo.ch : 例えば「民主主義の見本であるスイスはネオナチ天国」と揶揄されるように、最高裁の判決がスイスのイメージを傷つけたと思いますか?

ニッグリ : そうは思わない。

1995年に導入された人種差別撤廃法(スイス刑法第261条補足1)は、人種差別を有罪としている。

具体的には、憎悪と人種差別の扇動、人種差別的な内容を広めること、ジェノサイド(集団虐殺)を否定したり過小評価すること、人道に対する罪(ユダヤ人大量虐殺の否定など)、公に人種差別を行うこと。

言論の自由が著しく規制されるという理由から、右派は今でもこの法律の廃止を求めている。

下院の司法委員会は2004年、ナチスのシンボル(ヒトラー式敬礼など)の使用禁止を含む罰則強化を要求。

しかし、当時の司法相であった右派国民党のクリストフ・ブロッハー氏は、この法律に反対していたため、その要求を議題に取り上げることはなかった。

2010年、ブロッハー司法相の後任者エヴェリン・ヴィトマー・シュルンプフ氏の要求で、連邦議会は法律改正を断念した。

連邦最高裁判所は2014年2月、国籍と民族に対する侮辱用語(シュヴァーベンの豚野郎など)は人種差別に当たらないという判決を下した。しかし肌の色や宗教に対する侮辱(黒い豚野郎など)は罰則の対象となる。

swissinfo.ch : 場合によっては罪に問われないために、外国からネオナチがスイスにやってきて活発に活動するようになる可能性はありますか。

ニッグリ : これは予測の難しい問題だが、ヒトラー式敬礼を使うためにネオナチがわざわざスイスに来るとは考えにくい。それにスイスではヒトラー式敬礼を使っても罪が問われないという状況は、今回の判決以前と変わっていない。

ただし、パンフレットや回想録といったナチスの宣伝資材に関しては別だ。個人使用目的と申告されている限り、こうした資材は比較的容易にスイスに持ち込める。

人種差別撤廃法が1995年に導入されるまで、スイスは(ユダヤ人)大量虐殺を否定する人たちの温床のようなものだった。ヨーロッパの大半の国では大量虐殺の否定が禁止されているからだ。しかし、同法導入後、この現象は事実上消滅した。

swissinfo.ch : 最高裁は、ヒトラー式敬礼を国家社会主義の宣伝やプロパガンダ目的に使う場合と、国家社会主義への個人的な信条を表すために使う場合とで、罰則を適用するか否かを区別しています。この区別は法的に意義がありますか?

ニッグリ : この区別は法律の内容と一致する。宣伝、つまりイデオロギーを広めることは禁止されている。しかし、特定のシンボルマークを身に付けたり、見せたりするだけでメッセージを発信しているとは考えられていない。例えば十字架のネックレスをしているだけでキリスト教を布教しているということにはならない。

信条や信仰を持つだけで社会が人を罰することがあってはならない。最高裁の「信条を表すことは、たとえその場にその信条とは無関係の人がいたとしても、必ずしも宣伝にはならない」という判決は、法的に正しい。

ただし、この区別には難点もある。単なる個人の信条なのか、それともイデオロギーの宣伝行為なのかを判断するのが、刑事訴追の担当当局(警察と税関)である点だ。彼らの責任はあまりにも重い。リュートリの丘で式典を妨害したネオナチに関して言えば、最高裁は「単なる信条」という判決を下した。

人種差別撤廃法に反対している人たちは、同法は信仰そのものを禁じるものだと繰り返し批判しているが、それは妥当ではない。

swissinfo.ch : この区別は社会的にみても意義がありますか。

ニッグリ : ヒトラー式敬礼とハーケンクロイツの位置づけは特殊なので、その質問に答えるのは難しい。このシンボルの意味は明らかで、まさにヒトラーの国家社会主義そのものを表す。そのため、誰が見てもそのように認識される。

ハーケンクロイツとヒトラー式敬礼を罰則対象にすることも考えられるが、過去の政治的論争からみても、それに意味があるかどうかは疑問だ。また、罰則対象を広げることには常に危険が伴う。

swissinfo.ch : 訴訟が大量に起きることで、法律が形骸化してしまうからですか?

ニッグリ : その通りだ。刑法は鋭い武器でなくてはならない。日常的に罰則が適用されると、鋭さが鈍る。有罪となるのは特殊な場合であるべきだ。そうしないと懲罰の「切り札」としての意味がなくなる。つい先ごろもあったように、コメディアンの取るに足らないジョークに人種差別撤廃法を適用するのはよくない。この法律は非常に重要で意義があるが、許容範囲を著しく超える重いケースに適用してこそ意味がある。

国家社会主義は、ある特定のグループを劣等とみなし、そのグループの差別や抹殺さえ容認する。このようなイデオロギーを信じる人は犠牲者を嘲笑し、侮辱して人間の尊厳を傷つけるだけでなく、現代社会の基本原理である対等性や平等性にも反する。ハーケンクロイツとヒトラー式敬礼が物議を醸すのはそのためだ。これらのシンボルは社会から排除されて当然だ。

刑罰法規は社会の価値観を反映しなければならない。また、理解しやすく、かつ刑事訴追に応用できるよう的確である必要がある。問題は、ハーケンクロイツとヒトラー式敬礼を罰することはできても、例えば隠語の「88」は対象外になることだ(編集部注:アルファベットでHが8番目であることから「ハイル・ヒトラー(Heil Hitler)」を意味する)。つまり、関係者や情報筋しか分からない国家社会主義を表す暗号は罰せられないということだ。

swissinfo.ch : ドイツ、オーストリア、チェコではヒトラー式敬礼は禁止されています。それ以外のヨーロッパ諸国の法制度や司法事情はどのようになっていますか。

ニッグリ : 欧州の司法事情は一様ではない。重要なのは法律の文面ではなく、法律をどう適用するかだ。ナチスの被害が大きかった国では、当然ながらそのシンボルが禁止されている。こうした国に加えてポーランド、フランスとイタリアでも禁止されている。

一方、南ヨーロッパではナチスのシンボルに関する罰則は様々だ。また、ナチスの侵略がなかった米国と英国にはそのような罰則は存在しない。

このように国によって様々なので、人種差別のシンボルやジェスチャーに関し、他国を参考にして右にならえというわけにはいかない。こうしたシンボルにどのように向き合うかは、スイスが自ら決める必要がある。

ただし、ヨーロッパ全ての国に共通して言えることは、ヒトラー式敬礼とハーケンクロイツが世間を騒がすという点だ。英国のハリー王子の事件では(ハーケンクロイツの紋章が入った衣装で仮装パーティーに現れた事件)、これらのシンボルに関する刑罰法規がない英国でも大きな波紋を呼んだ。ヒトラー式敬礼とハーケンクロイツはヨーロッパ全土で追放されている。歴史を振り返れば当然のことだ。

(独語からの翻訳 シュミット一恵、編集 スイスインフォ)

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