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自然保護か河川の利用か スイスが抱えるジレンマ

センゼ川の野生が残る区間 swissinfo.ch

スイス連邦政府は過去、洪水防止策強化に多額の投資をし、また河川をより自然な状態に復元するため、26州全てに地表水の復元を義務付ける法律を発効した。しかし、河川の自然保護と、水力発電を進めたい考えの間で板挟みの状態となっているのが現状だ。

 砂岩の上に幽霊のように伸びる城壁。廃墟となったグラスブルグ城のすぐ先で、森の小道はセンゼ川の岸辺に下りていく。スイスの緻密に管理された自然風景の中にあって、この辺りは珍しく野生が残っている。

 「ここには非常に多くの種が生息している。植物も昆虫も魚も。本当に驚くべき場所だ。スイスの熱帯雨林と言ってもいい」と話すのは、世界自然保護基金(WWF)スイス支部で、「持続可能な水力発電プロジェクト」のリーダーを務めるジュリア・ブランドルさんだ。

 なぜ、この地域が野生のまま残っているのか。川の傾斜が緩すぎて水力発電には適さず、周囲の丘陵は勾配が急すぎて放牧に向かないからだ。

 「ここがまだ自然の状態で残っている理由の一つは、川のこの部分を発電に使える見込みが薄かったことだ。そのため発電に利用されずにすんだ」と、周辺を歩きながらブランドルさんは話す。

 「もう一つの理由は、この渓谷が農業に適さないことだ」と、ブランドルさんは川が自然に作り出した平原の上にそびえる急斜面を指差した。「また、洪水防止工事の必要もなかった」

過去の過ちの代償

 スイスでは、かつて国民の大半が土地を耕していた。19世紀後半になるとダムや運河が造られ、それらは網の目のように張り巡らされた。また20世紀前半には洪水防止と沼地の農地化を目指し、あちこちの河川や湖が改変された結果、小さな河川のほぼ全てが影響を受けた。

 運河を切り開いたり川床をコンクリートで固めたりすることで川の流れは速くなったが、地面に水が染み込む量は減った。これがのちにスイスを悩ませることになる。

 2005年の「世紀の洪水」はスイス中部をめちゃくちゃにし、死者7人と数十億フランの被害を出した。07年の豪雨では低地が浸水。過去数年間は毎年大雨が降り、河川や湖の水位が危険なまでに上昇した。

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 政府は05年の大洪水の後、洪水防止策強化のために5億フランを優に超える投資をしたが、巨大な洪水防止壁の建設や気象モデルの改善、また川床の「修正」といった、州や自治体によるプロジェクトの一部は、財政的理由や地方自治体間の合意がなかなか取り付けられないことにより遅れている。

自然の復元と水力発電

 11年には26州全てに地表水の復元を義務付ける法律が発効され、連邦環境省環境局は、スイスの河川の多くがより自然な状態に復元される予定だと述べている。

 その一方で、連邦エネルギー省エネルギー局の言葉を借りれば、スイスには水力発電の利用に「理想的な条件」が整っているという。政府の「エネルギー戦略2050」 では、水力発電の利用拡大がはっきりと打ち出され、老朽化しつつある原子力発電所5カ所が最終的に廃炉となった後は、水力がその穴を埋める助けとなることが期待されている。

 発電所新設ブーム以来、スイスでは現在、少なくとも300キロワットの発電能力を有する水力発電所約600カ所が稼働している。

 WWFは、スイス各地に水力発電所があるせいで、多くの動植物が生息する河川の自然な流れが妨げられているという。また、スイスにも欧州連合(EU)と同様、有益な水域の劣化の禁止措置の採択を求めている。

 それに加えて、政府は水力発電所新設のための奨励金を見直すべきだとも述べる。この奨励金があるために、比較的小規模で重要性の低い発電所の建設が利益をもたらす仕組みになっているからだ。

今後の成長の限界

 70年代初頭にはスイスの発電量のほぼ9割を占めていた水力は、国内の原子力発電所が稼働するようになって、1985年には6割まで下がった。

 政府の水力発電の推進は主に、性能と効率性の向上を狙ったものだ。2014年に連邦政府が行った調査では、水力発電の規模拡大は現在の状況では正当化できないと結論づけている。

 今日、水力はスイスで供給される電力の56%を占め、国内の再生可能エネルギー源として最も重要な地位を占めている。しかしこれ以上の成長には限界があると話すのは、ベルンの大手電力会社BKW、水力発電部門のアンドレアス・ステットラー部長だ。

 ステットラー部長によると、効率性を上げることにより水力発電がスイスの電力供給の約6割を占めるまで上昇する可能性はあるが、自然・経済的要因から、それ以上の伸びはおそらく望めないだろうという。カンダー川のプロジェクトについては、河川の流量レベルと位置エネルギー(ポテンシャルエネルギー)によって、発電所を新設すべきか、どのように建設すべきかが決まると話す。

 「スイスでは大規模な発電所の新設の可能性はほぼゼロだ。良い場所には全て、50年代、60年代に発電所が建てられてしまっているからだ」

3.6%

 自然の復元はまた別の問題だ。専門家は、生態系はわずか数年で回復することもあると言う。また蛇行水路や島、砂州、池を新しく作ることによって、水路が自力で回復する可能性もある。しかし課題は山積みだ。

 まずWWFの調査によって、スイスの河川の8割は、健康な生態系の基本的条件4つ(種の多様性、保護された自然生息地、自然な水の流れ、改修されていない河川構造)のうち、わずか2つしか満たしていないことが明らかになった。

 憂慮すべきは、条件のうち3つ以上を満たす「非常に有益(valuable)」とされる河川が、たったの3.6%しかないという点だ。「『珠玉』と言えるこれらのスイスの河川さえ、開発の圧力をはねのけるために助けが必要となっている」。WWFスイス支部で生態学的水力発電のプロジェクト・マネージャーを務めるレネ・ペテルセンさんは、そう話す。

データを収集する機器が取り付けられた石を確認するレネ・ペテルセンさん swissinfo.ch

 ペテルセンさんはベルナー・オーバーラントを歩きながら、スイスの水路が直面する圧力の一例として、カンダー川の比較的野生が残っている地域を指差した。そこでは、急流になっている区間を利用した水力発電の可能性が検討されている。流れのそばの大きな石には、川の流れのデータ収集のため、水位計と太陽電池で動く機器の箱が取り付けられていた。

 絵葉書さながらの自然風景を緻密に管理する傾向のある、スイス人の二面性を示すよい例だ。

 「人々は環境への意識が高い。河川の価値も理解しているし、健康な環境を求めている。しかし一方でエネルギー、農業など、その他のさまざまなことも求めている」とペテルセンさん。その結果、河川の保全は「他の関心事に比べて十分な重要性を与えられていない」。

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豊富な水

ヨーロッパの「給水塔」として知られるスイスは、占める面積は大陸のわずか0.4%だが、淡水資源の6%を有している。

スイスには約1500の湖があり、大半がかつての氷河だ。完全にスイス国内に位置する湖としては、ヌーシャテル湖が最大。中央ヨーロッパで最大の淡水湖はレマン湖。主要河川のローヌ川、ライン川、イン川は全てスイスに水源をもつ。

スイスの降水の多くは雪としてアルプスに降る。雪や氷河の形での水の貯蔵は、流出水を四季にわたって配分する上で重要な役割を果たす。アルプスの河川は、氷河が溶け出す春と夏に、流出水の量のピークを迎える。

アルプス山脈が通る他の国と比べても、スイスほど国内河川を集中的に利用している国はない。スイスには約1500カ所の発電所と15万カ所のダムがある。


(英語からの翻訳・西田英恵)

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